よもやま話

あの日から丸10年。何が起こったかあえて思い出してみた。

2011年3月11日。

あの日から今日でちょうど10年。

もう10年。

まだ10年。

そんなことを考えていた最中、東北を震源とするかなり強い地震が起きて、私も再び怖い思いをしました。

その際に、あの日のことを忘れてはいけないと、改めて思ったのでした。

防災の備えは大丈夫??

地震をなめていない??

みなさんも大丈夫??

防災の備えについて是非もう一度考えましょう!!

毎年恒例の防災グッズリストの更新。

このブログを始めてから毎年3月11日に書いているので、古くからの読者様にはお馴染みとなっていることですが、私は3月になると必ず防災グッズリストを更新しています。

その方法については、過去記事をご参照ください。

9年目の311。防災グッズリストを更新しました。あの日からもう9年ですか。 世間は今、新型コロナウイルス問題に揺れていますが、あの時の記憶が薄れて教訓が活かされていないんじゃない...

コロナ禍での反省を踏まえて、最新版のリストにマスクを加えておきました。

おススメしたいのは、ただリストを作るだけではなく、使用期限・消費期限を必ず入れておくこと。

何か起きた時に、

え?使えないじゃーん!

とか、

え?食べられないじゃーん!

ってなったら、いくらグッズを用意してあっても意味がないですからね。

ところで、まさかまさかと思いますが、コレを読んでくださっている方の中に、防災グッズや非常食を何も用意していない人なんて、ひとりもいませんよね???

311の日。我が家で起こったこと。

神奈川~東北に住んでいた人はほぼ全員、なんらかの被害や不便なことがあったかと思います。

ニュースになっていたようなことを書くのは省略し、我が家がどんな状況になったかだけ書いてみようと思います。

家の中の様子。

311当日、公共交通機関はすべて止まっていたので、夜遅くに会社から徒歩で帰宅。

家に入るとカバンを置くためにまず寝室に入るのですが、扉を開けた光景にびっくりして、思わずすぐにまた扉を閉めてしまいました。

んんんん?嘘でしょ???

窓際のチェストがあるべき場所ではなく、扉の近くまで動いていて、上に置いてあったものは全部吹っ飛んでいました。

続いてリビングに入ると、やはりいろいろなものがあちこちに散らばっている……。

幸い、倒れるような高い家具はひとつもなかったのと、食器戸棚はつまみをぐっと引っ張らないと開かない耐震仕様になっているため、実害は殆どありませんでした。

それでも、あまりの光景にしばし呆然……。

おびえる猫。

一番心配だった愛猫はといえば、にゃーおにゃーおと鳴きながらぐるぐる歩き回っていました。

いつもは私が帰宅すると近くに来てすぐに鳴き止むのに、ご飯をあげてもパニック状態のまま。

抱っこしても撫でてもダメなので、大好きなおやつをあげたところ、やっと落ち着きを取り戻したのでした。

めちゃくちゃな勢いで揺れるし、あちこちからモノが飛んでくるし、あとから同じマンションの人に聞いたところ、ギシギシとすごい音もしたらしいので、本当に怖い思いをしたんだと思います。

後日気づいたこと。

何日か経ったある日のこと。

リビングのコンセント(挿し口)が見当たらないことに気づきました。

え????

いくら揺れたからといって、コンセントがなくなるわけがありません。

よくよく見たら、重たいチェストが地震でずれていて、コンセントが見えなくなっていたのでした。

どんだけ揺れたんだか……。

そしてその際、地震が起きる2か月前まで、ずれたチェストの上にもうひとつの重たい木製の棚を乗せていたことも思い出しました。

でも、虫の知らせだったのかなんなのか、

もしも大きな地震が来たら、この棚は絶対に倒れる。

危ないから処分しよう!

と、急に思い立って2001年の年明けに処分していたのです。

もしもその棚を置いたままにしていたら、床が損傷して大変なことになっていたかも……。

猫の上に倒れて大変なことになっていたかも……。

うーん。

考えるだけでもオソロシイ……。

みなさんの家の家具は大丈夫ですか??????

とにかく怖かった。

会社にいる時も、帰宅してからも、とにかくとにかく怖かった。

尋常ではない揺れ。

頻繁にけたたましい音で流れる緊急地震速報。

本来なら人が少ないはずの道路の黙々と歩き続ける人の波。

余震の数と余震とは思えない激しい揺れ。

東京でも酷いトラウマになるほど恐ろしかったのに、東北の方々の恐怖が如何程のものだったかは、正直想像すらできない……。

あの恐怖を感じなかった地区に住んでいた人たちは、ラッキーだったと思います。

でも同時に、アンラッキーだったのかも知れません。

私自身は、あの時の恐ろしい体験があったからこそ、災害に備えようという気持ちが強くなったからです。

まとめ。

あの時は、震源地から遠い東京でも想像もしていなかったようなことが本当にたくさん起きました。

そして今現在は、コロナ禍で想像もしていなかったようなことがたくさん起きています。

そうした経験が無駄にならないよう、十分な備えができているか、今一度見直してみようと思っています。

はやし
はやし
みなさんも是非ご一緒に!!

最後に。

とある縁がきっかけで、震災後に8年間ほど石巻市にほんのわずかですが寄付を続けていました。

震災から2年後に、復興応援のための観光にも行きました。

先日、その石巻市からお手紙が届いていたので、内容を共有したいと思います。

こちらこそありがとうございます。

コロナが落ち着いたら、絶対また観光に行きます。

8年目の311に思う。おひとりさまの災害の備え。あの日から8年。 怖ろしい揺れに止まらない震え。 ヘルメットを被って徒歩帰宅する人の波。 つづく余震への不安。 ...

POSTED COMMENT

  1. 経堂工場(きょうどうこうじょう) より:

    石巻からの手紙、私のところにも来ました。
    住所とか言った覚えないんですけど、なんででしょう?(^^;)

    とまあ、それはさておき、多くの方々は東日本大震災と聞くと真っ先に「東北」という地域が思い浮かぶと思います。

    東北の福島、宮城、岩手に対し〝被災3県〟なんて言い方をする場合もありますしね。

    しかしながら、被災地ってなにも東北だけじゃないんです。

    人知れず甚大な被害を受けたいわゆる〝忘れられた被災地〟という場所も数多く存在します。

    私はそんな〝忘れられた被災地〟のひとつである茨城県奥久慈の復興を震災直後からずっとずっと応援し続けています。

    • はやしりえ より:

      経堂工場様
      忘れられた被災地も各地にありますよね。
      あまりにも広範囲過ぎて、支援することが多過ぎて途方に暮れると何もできないので、あるときから私は仕事でちょこっとだけ縁のあった石巻への支援に集中することにしたのですが、経堂工場さんにとってはそれが奥久慈だったのですね。

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