前回↓のつづきです。

2か月前に亡くなった父の話。
前回、父親が亡くなったのに「悲しいとか喪失感とか大変だとかいうことはまったくない」と、かなりクールなことを書きました。
これは、寝たきりの期間が長かったこと、88歳の大往生だったからというのが主な原因なのですが、もうひとつ、私と父との微妙な関係というのもひとつの原因でした。
微妙な関係というのは……。
仲良し父娘に憧れていたけれども叶わなかった。
会話らしい会話をしたことがなかった。
思い返せば、ものごころついた頃から、父親とは会話らしい会話は殆どしたことがありませんでした。
真面目な人だったし、暴力とは無縁の人だったし、私と姉のことを大切に思ってくれてはいたと思います。
でも……。
複雑な家族関係で育ったからなのか、典型的な「昭和の男」だったからなのか、その理由はわかりませんが、父は愛情表現がうまくできない人だったのです。
愛情表現どころか、「人とのコミュニケーションがうまくできない人だった」と言った方が的確かも。
私が産まれてから58年の間の父との会話をぎゅっと凝縮したら、せいぜい2時間くらいか?
という感じ。
ヘタすると2時間も無いくらいかも。
たまに話しかけられても、「は?なに言ってんの?」としか返せないような内容で、ふたことくらいで会話が終わってしまったからです。
亡くなるまでずっと、思春期の父娘のような会話しかできなかったのです。
父の単身赴任期間が長くて一緒に暮らした時間が極端に短かった上に、家族と過ごすよりも麻雀やゴルフをする時間を優先させていたことも、そのクールな関係を更に悪化させたのかも知れません。
仲良し父娘がうらやましかった。
世間には、一緒に旅行に行ったり、パパみたいな人と結婚したい!と言う人がいたりしますが、そんなこととは全く無縁。
テレビでそんな父娘の姿を見ていると、うらやましくって仕方がありませんでした。
旅行に行けなくても、せめて普通の会話をしたかった……。
すごく感謝はしている。
とは言え、父にすごーくすごーく感謝はしています。
高校を卒業したあと地道に働いて、マイホームを買い、姉と私のふたりを希望の学校に通わせてくれ、不自由の無い生活をさせてくれたからです。
表現はヘタだけれども、私たちに精一杯の愛情を注いでくれたからです。
だから亡くなった今となっては、感謝の気持ちしかありません。
まとめ。
父から見たら、私は嫁にもいかない心配な娘であり、とーても冷たい酷い娘だったかも知れません。
もっともっと優しく話しかけて欲しかったんだろうと思います。
だからひょっとして、わざわざ私の誕生日を選んで亡くなったのか??
誕生日が命日ならば、いくら冷たい娘でもぜったいに思い出すから??
……などとさえ思ってしまったのでした。
さてさて。
ちょっと話がそれてしまいましたが、次回の「コロナ禍の中、葬儀とかはどうしたの?」という話↓につづきます!

私の父も倒れて亡くなるまでの半年間、話すことができず寝たきりでした。私も成人以降はあまり会話することなく「忙しいか?」「まあね」以上終わり。ハヤシさんとお父様も不思議な関係ではなかったと思います。そういう関係はいっぱいあったんだと思います。私は父の死後の方が父のことを色々と考えるようになりました。
bluew56様
我々の年代の父親は、そういうタイプが多いのかも知れませんね。
私は思い出すこともないので、どうやら死後も親不孝者のようです^^;
パート1から感慨深く読ませていただいていましたが、いやぁ、あまりに共感することが多く、もし機会があったらこの件だけでじっくりと語り合いたいぐらいです(苦笑)
ちなみに、私の親父もだいぶ前(20年前)に67歳で亡くなってるんですが、内容を読ませていただきながら、とにかく「うんうん」と、ずっと頷きっぱなしでした。
経堂工場様
昭和初期生まれの父親って、こんな感じの人が多いんでしょうかね。
父娘が仲良しの映画とかドラマを観ても、嘘じゃーんとしか思えない自分が嫌になりますw
ウチの父は今86歳です。
父が若くて、私が子どもだったころは、はやしさんのお父さまと同じように無口な人でした。
単身赴任が長かったこともあり、父というより「たまに来るおじさん」という感じでした。
父は幼いころに父を亡くしたため、子どもの接し方が分からなかったようです。
なので、私が社会人になり、父が定年退職したころから、少しずつ話すようになり、仲良くなった気がします。
父が「死ぬまでに一度行きたい」と言ったイタリア旅行ツアーには二人で行きました。
昨年は二人とも行きたかった「大塚国際美術館」見学ツアーに参加しました。
たぶん、父の体力的に、これが最後の遠出になるかなぁ・・・なんて思いながら。
父とここまでコミュニケーションが取れるようになったのは、ちょっとしたタイミング、きっかけだったと思います。覚えていませんが。。。
きっと、はやしさんのお父さまも、仲良くしたかったと思います。
ももさま
コメントありがとうございます!
父はそう思っていたことを私もわかっていましたし、私も仲良くしようと努力したことは何度もあるのですが…
それでも無理な人でした。