4回の転職と、50代、55歳での早期退職を経験した私。
本当にいろいろな会社で仕事をしましたが、正社員とはまたちょっと違う体験ができた派遣社員時代のことについて今回は書いてみようと思います。
私が名古屋の会社を辞めて上京した後、28歳~31歳の3年間に派遣された3社での話です。
今からもう四半世紀以上前の話なので時効だと思って読んでくださいね。
いろいろな人、いろいろな仕事、いろいろな職場環境に出会った。
1社目の話。(大手通信会社A)
私の派遣社員デビューは大手通信会社の本社でした。
本社の中でもかなり中枢の仕事を担う部署。
後から気づいたのですが、たぶん国会での質問対応など管轄省庁とのやり取りをするための資料作成を担っていた部署で、社員たちは忙し過ぎて毎日帰宅が午前様。
その部署の人たちは殆どが東大卒のエリート中のエリートばかりで、私のいた部署で一番偉い人も東大卒。にこっともしない不愛想な人でした。
その部署の島には4人+私が座っていたのですが、仕事中は私語は一切禁止。仕事の会話もわずか。
私はワープロオペレーター(当時はパソコンなんてなかった)として派遣されていたため手書きの原稿をデータ化する仕事をしていたのですが、その仕事はたまにしか発生せず、残りの時間はコピー取りをするか、ただひたすら席に座っているだけ。
いやもう辛かったですよ。やることなくて。
しかも東大卒の無愛想氏が珍しく言葉を発する時は、いつも新人東大卒君を怒るため。
聞いているこっちの気分が悪くなるくらいボコボコにされていました。
そんな状態なので、そろそろ1時間くらい経ったかな?と時計を見てもまだ10分しか過ぎていない。
席を離れることも、誰かと話すことも、本を読んだりすることもできず、隣の東大君が怒られている様子を見ながらただただ座っているだけって本当に辛かったのですよ。
幸いほかの派遣仲間2人と仲良くなることができたので、ランチタイムと15分だけ取れる午後の休憩だけがほっとできる時間でした。
その2人も暇だと言うので何をして時間を潰しているのか聞いてみたろころ、ワープロ検定資格をとるためのタイピング練習をひたすらしているとのこと。
なるほどと思った私も、その時から教科書を借りてひたすらタイピング練習をすることにしました。
そのおかげでブラインドタッチは余裕でできるようになったし、会話をそのまま文字化できるくらいのスピードでタイピングができるようになったので、今でも会議の議事録用メモをとることを特技としています。
ありがたい特技が身に付いたものです。
2社目の話。(外車のディーラー本社)
1社目はヒマさがあまりにも辛くて4か月で契約終了。
次に派遣されたのは都内に複数の支店を持つ外車ディーラーの本部でした。
そしてなぜかここもヒマだった……。
この会社は派遣社員だけ私語禁止だったので、やることがなくてもじっと座っているしかありません。
派遣社員だけ私語禁止とかウーロン茶を飲んではダメという変なルールがあったのですが、そのことについては以下の記事でも書きました。

あまりにもやることが無い時は、当時主流だった表計算ソフトのロータス123でマクロ機能を使ったゲームを作って遊んでいました。
スロットマシーンのように数字が3つ揃うとコインが出てきて、それがいくらか以上になると花火が打ちあがる。そんな簡単なゲーム。
マクロ機能は仕事でも応用し、各支店の数字を一発で集計するマクロを組んで社員からほめられたこともありました。
本来は仕事で覚えたことを応用してゲームを作って遊ぶのが正しいことなので、良い子のみなさんはいくら仕事がヒマでも真似しないように。
そんな時間をたくさん過ごしたおかげで、表計算ソフトを触るのは得意になりました。
ありがたい特技が身に付いたものです。
この会社の同じ派遣社員の中にちょっと不思議な人もいました。
その人は毎日仕事が終わるとディスコに遊びに行くのです。(子どもはいないけど既婚者)
で、翌日は必ずといっていいほど遅刻。
そして社員から怒られると逆切れする。
それまではまぁまぁ真面目な会社員しか見たことがなかったので、世の中にはいろいろな人がいるんだということを勉強させてもらいました。
3社目の話。(大手通信会社B)
2社目も居心地が悪かったので半年で契約終了。
次に派遣されたのは1社目と同系列の大手通信会社の技術系部署でした。
技術系ということもあって社員は全員男性。若い独身男性もたくさんいる部署でした。
しかし入社当日、なんだか様子が変だということに気づきました。
あちこちから社員たちが私のことを見学しに来るのです。
後で知ったのですが、今では考えられないことが行なわれていたのです。
それは、私の履歴書がコピーされて事前にあちこちに配布されていたということ。
当時は個人情報に対する意識が全くなかった時代だったので、入社前に私が所属していた派遣会社から派遣先の会社にFAXで履歴書が送られていました。
顔写真が貼ってあり、生年月日や住所などの個人情報が書かれた履歴書です。
現在では派遣会社は年齢や詳しい経歴などは一切伏せた書類しか派遣先の会社に提出してはいけないことになっていますが、当時はそんなルールなど一切ない時代。
独身&彼女無しの社員たちが次に来る派遣社員(私)が30歳近いということを知ってがっかりしていたということも後で聞かされました。
酷い時代でしたよ、まったく……。(ため息)
ただ、その会社にいた2年強は私にとっては最高に楽しい時間でした。
みんなよい人たちばかりで、週に2~3日は飲み会があり、休みの日にはバーベキューをしたりゴルフに行ったり社員の家で鍋会をしたりと、すごく楽しい思い出ばかり。
この2年強が、私史上一番遊んでいた時代だったかも。
あまりにも楽しくて、正社員での採用がやっと決まったにもかかわらず、行こうかどうか迷ったほどでした。
でも、ずっと仕事を続けるには不安定な立場である派遣社員ではダメだと思っていたので泣く泣く契約を終了したのでした。
様々な会社での経験は今でも宝物。
こうして改めて振り返ってみると、本当にいろいろな人がいたし、いろいろなことがあったなぁ……。(遠い目)
これらはみな派遣社員だったからこそできた体験。
酷いこともいろいろありましたが、おかげでどんどん図々しくなれた精神的に強くなれたし、ちょっとやそっとのことでは動じなくなりました。
派遣社員時代の経験も、その後の私の会社員人生にすごく役立つものばかりでした。